社会人としての経歴

IT系企業で働きだして4年半。もともとはプログラミングが好きでこの業界に入ってきたけれど、最近はプログラミング好きでずっとプログラマーじゃ食べていけないだろうなと考えている。

そんな開発者5年目ではあるけど、これまでもいろいろあったので、自分の社会人生を振り返ってみる。

  

23歳~24歳・社交ダンス教師

 大学時代にはまった社交ダンスの影響と、遊びすぎて留年していたこともあり、特に就職活動というものをせず、社交ダンス教師の道へ進んだ。留年中だったので、研究室に週に1回行くだけで、あとはずっとダンス。

ダンスは好きで今でも続けているけれど、教師として仕事に面白みを感じられないことと、給料の少なさに不満があり、わずか1年半で転職を考えた。

このころからしっかりと働かねばと考えて、大学での専攻がアルゴリズム系ということもあり、IT系企業での就職を探すが、、、

 

24歳~25歳・ホテルの営業部⇒フリーター

次の就職先に選んだのがとあるホテルの営業。旅行代理店を回ってホテルの紹介をしたり、宿泊者の管理をしたり。もともと惹かれたのは企業向けの研修課だったが、営業側に回された。

 はっきり言ってスーパーブラック。12時回るのなんてザラ。月の残業時間が100時間を余裕で超える。体調を崩したこともあって退職。

今後のこともしっかり考えねばと思い、しばらくはフリーターで過ごす。もしかしたらフリーター時代が一番楽しかったかも。と言ってもお金はなかったからずっと生活できるとは思っていなかったけど。

 

26歳~30際・特定派遣のIT企業(製薬会社へ派遣)

 ここからIT戦士としての経歴がスタートする。

入って4か月は研修という名の社内で受託開発を行い、5か月目から製薬会社での常駐業務のため派遣される。

この4年間で仕事観はすべて形作られたと言っていい。

保守開発に2年半、純粋な開発に1年、情報システム部員として半年。思えば孫請けから元受けの仕事から最終的にユーザ企業側の仕事まで任されていた。自社、派遣先企業、ユーザ企業、それぞれの会社での信頼も上がって、この頃が一番乗っていたんだろうなと思う。

ただ、やっぱり開発がしたい、という思いは抑えきれずに転職を決意。

 

現在・自社パッケージ開発企業

 転職先を選ぶ基準にしていたのは、受託開発企業、もしくはパッケージ開発企業だった。複数社を受けて、最終的に内定をいただいた3社から選ぶ形になった。

ほかの企業の選考がまだ終わっていないから返事はまだ待ってくださいとか、新卒だったら絶対できないだろうな。それなりに自分に自信もあったし結構強気だった。1週間ぐらいで内定くれた会社には結局1ヶ月以上待たせて断ってしまったから悪いことしたな。

そんな中で選んだ今の会社。在庫管理・自動発注のパッケージを開発導入している会社で、2015年の売り上げは5億4000万。現在も業績は伸びている。

大企業ではないので自由に仕事をさせてもらえるし、上場を控えているため、残業に厳しく、ものすごいいい環境の会社だ。

今後のことは確定しているわけではないけれど、少なくとも数年は今の会社にいるんだろうなと考えている。

 

30歳にして、4社を経験し、いろいろあったから、人とは多少ずれた仕事観を持っていると思っている。それでも自分にとって幸せな方向に仕事をしていきたいわけで。

 

次の記事で、自分の仕事観について書きたいと思う。